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僕は名刺の肩書きに、何と記せばいいのでしょう。(立古和智)

立古和智 株式会社フリッジ 代表取締役
株式会社シンコーミュージック、株式会社ビー・エヌ・エヌを経て、フリーランスの編集者、ライターとして独立。2008年、株式会社フリッジを設立。早稲田大学大学院経営管理研究科修了(MBA)。

いまだに僕は本作りをしていることになっているらしい。

先日、18年ぶりに会ったデザイナーさんから聞かれました。「最近はどんなデザイン誌に関わっているのですか?」 おっと。SNSではつながっていたものの、彼のなかの僕は18年前で止まっていたようです。この20年ばかりの変遷を、その場で説明することになりました。

似たようなことは続きます。9年ぶりに再会したクリエイティブディレクターさんからは「今も個人事務所だよね?」「大学案内の制作? まさか丸々手がけているわけじゃないでしょう?」と驚かれました。

人は思っている以上に、僕が何をやっているのかを知りません。しかも面白いことに知り合った時期によって、僕の職能についての認識が少しずつ異なるようです。

編集者だったり、ライターだったり、コピーライターだったり。

古い知人ほど、僕のことを「(出版物に携わる)編集者」だと思っている傾向があります。最初の勤め先が出版社で、与えられた肩書きがそれでしたし、20代で独立した当初も主に出版物に関わっていたのだから当然といえば当然です。

ここ10数年の知人となると、出版物に携わっていると思っている人は減ります。ほとんどは、企業や大学のコミュニケーションに関わる「取材ライター」か「コピーライター」という認識になるようです。制作会社やデザイン事務所から、取材と執筆だけを請け負っている人。そんなイメージでしょうか。今でもそういう仕事は大歓迎ですし、実際、仕事の半分近くはそんな感じです。

ところが、ここ5年くらいで知り合った人からは「書きものだけ」というよりかは、プロジェクト全体の責任をもつ人と認識されているようです。9年前、個人事務所だったフリッジを組織化し、マンパワーも知見も増した結果、一人では請けられなかった規模の仕事を任されるようになったこととも無関係ではありません。出版物か企業ものか、という違いこそあれど編集者元来の役回りに戻ってきたともいえます。

さておき、僕の職能などどう思われていようとも大きな害はありません。ただ、関係者に認識をアップデートしていただこうとするたびに悩ましい問題に突き当たります。今の僕は、何者であると名乗ればいいのでしょうか。

えっ、「クリエイティブディレクター」なのですか?

この悩みをデザイナーの友人にぶつけたところ、あっさりと「クリエイティブディレクターと名乗ればいいじゃん」と言われました。たしかに実態としても、そう間違ってはいません。ただ、どうも抵抗感があります。僕の根っこは編集です。広告業界でキャリアをスタートしていれば受け止め方は違ったのかもしれませんが、「クリエイティブ」という響きがいささか格好良すぎます。借り物の上等な服を着ているかのようで落ち着きません。

かといって、本づくりの現場から10年以上離れている僕が「編集者です」と名乗るのもいかがなものか。広報誌や大学案内といった冊子制作の現場ならまだしも、ブランディングのプロジェクトで経営層の方々と議論する場で「編集者です」では、少しばかり不自然でしょう。そんな風に考えあぐねているうちに、このところ職能を記していない名刺を用いることが増えました。

ほとんどのスキルは、編集職を通じて身につけた

冊子の制作に携わっていても、ブランディングのプロジェクトに携わっていても、使っているスキルは編集を通じて身につけたもので、ほとんどのプロジェクトは編集業務の発展形のように感じています。仕事の規模も、内容も、背負う責任の重さも、20年前とは変わりましたが、使っているスキルはほぼ同じです。

たとえば、ものごとの本質をつかむスキル。発信側には伝えたいことが10も20もあるのが常ですが、それらすべてを一気に伝えようとすると受け手は混乱します。だから10あるのうち、大切な3つを見極める(実際に2個なのか4個なのかはさておき)。「最も伝えるべきこと」、つまり本質にスポットをあてることで伝達度を高めます。

次に、言葉を扱うスキル。書きものはライターやコピーライターの仕事だろうといわれそうですが、書き手から受けとった原稿をリライトしたり、キャッチや見出しを追記したりすることは編集者の仕事のうちで、優秀な編集者に言葉に鈍感な人はいません。そういった信念のもと文章に親しんでいると、編集者であっても書けるようになるのが常です。私もこの典型でした。独立後は編集を依頼されるのとセットで取材ライティングを頼まれるようになり、人によっては僕のことを「ライター>編集者」と思うようになっていきました。

それから聞くスキルも。インタビュー相手のアイデアを整理し、思考を促し、本当に大切な伝えるべきことを見出していく。近年、驚くほど評価されるのがこれです。以前、「ちょっと気難しい人なのですが……」と前置きをされた上で臨んだヒアリングがあったのですが、後日その方から「あのときは自分でも驚くほどベラベラ話してしまった。あのマジックは何だ?」と問われました。マジックなどありません。理解に努め、心を通わせることは意識していたかもしれませんが、それだけです。いずれにしても、これもベテラン編集者の多くが持っている能力のひとつだと思います。

ひとつの領域に収まらないから、編集って説明しにくい。

こうして説明したところで、編集者の職能が100パーセント理解されたとは思えません。これに困っているのは僕だけではないようです。先日、日本最大級の編集プロダクションの方から「クライアントから『編集って何をしてくれるの?』と聞かれるのは日常茶飯事ですよ(笑)」と聞かされました。

僕自身の定義でいえば、編集者とはコンセプトを決める「クリエイティブディレクター」のような存在であり、コンテンツを企画する「プランナー」であり、制作チームを率いる「ディレクター/プロジェクトマネージャー」であり、文章を扱う「コピーライター」でもあります(この編集の定義は、出版業界の編集者からすると首を傾げたくなるものかもしれません)。ひとつの領域には収まりません。だからこそ理解されにくい。

説明しにくさと職能の幅広さは、同じことの裏表なのだと思います。悪く言うと「理解されにくい」なのですが、良く言うと「いろんな特技がある」です。ちなみに20代で独立した当初、40代のベテラン編集者から「編集は、ものづくりにおける最強のスキル。何にでも応用が効く」と言われました。「最強」は言い過ぎだと思いますが、雑誌・書籍から、会社案内や社内報、広報誌、大学案内、コーポレートサイトや採用サイト、映像、展覧会などいろんなメディアでの仕事を横断的に経験できた基礎に、編集スキルがあったことは確かです。

編集の重要性は、かつてよりも認知されつつある、たぶん。

振り返ってみると、2000年代の前半だと、企業の仕事で「編集者です」と名乗ると、かなりの頻度で「文章を書いているのですか?」と返されたものです。僕が知る限り企業案件には「編集者」というポジションはなかったのだと思います。当時、僕が編集より書きものの仕事を増やした背景には、そういった事情もありました。取材ライティングだけでなく、コピーライティングについて勉強し「書く」の幅を広げた過去があったのはそのためです。

あの時代に比べると、本づくり以外の場所で働く編集者は明らかに増えています。Webサイトの編集、会社案内や社内報の編集はともかく、空間、街、本棚などにまで編集が関与することがあるようです。それだけ編集の重要性が、以前より認知されているのだろう、と思いたいところではありますが、世の中の冊子を手に取ると「編集者不在」を実感することはまだまだ少なくありません。
編集者が関与する場は増えているものの、まだまだ過渡期ということなのでしょう。

編集スキルが基礎としてあるのに、編集者を名乗れない……。

編集畑で育った僕としては、自分の根っこは編集だと信じているのですが、件のデザイナーはなぜ「クリエイティブディレクターでいいじゃん」と言ったのか。彼の言葉を再度引くと、「キャリアの半分は、すでに出版物に携わっていないのだから、もう『編集者』にこだわらなくていいのでは」とのことでした。それも一理あります。

ともあれ、本作りに留まらず、企業や大学のコミュニケーション、ブランディング、展覧会などと、活動の場を広げてこられたのは編集スキルがあったおかげなのに、「編集者です」と名乗ることに違和感があるとは皮肉なものです。

さて、次に新調する名刺には、肩書きになんと銘打つか。ぜひともみなさんからのアドバイスをお待ちしております。

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